“カナダ五千キロの旅-友情の家"

井上和恵(富士クラブ)

 元、慶応ボーイ藤井さん、お人形さんのように可愛いとカナダ人に人気だった、磯田さん、飄々と術後にも係らず、1万歩を軽く越すスーさんこと、鈴木さん、そして例のごとく至れり尽せりの長谷川さん、国際免許を自参したのに、小僧扱いだった私の主人、そして相変わらず「あなたは英語を話しますか?」などと、ドジな英語を繰り出す私とで、竹内敏朗ワイズの新居『友情の家』への旅は、バンクーバー乗り放題の、後で思えば、あれはなくしても乗車は無料で出来たのでは(違法ですが・・・)と思えた切符から始まった。この時、私たち6人を待ち受けているものの壮大さ、ユニィークさ、無謀さ、そして他では経験出来ないカナダの圧倒的な自然、竹内さんを通じての友情の数々知る由もなかった。
 バンクーバーの端から端まで、私たちはその電車(地下鉄)に乗せられた。カナダも日本に違わず、まだ秋の暑さが続く日、時差ボケも取れぬ内から、電車で行ったり来たり、船で行ったり来たり、街中を行ったり来たり、バンクーバーをほぼ征服した疲労感に浸っていると「まだここは行けていない」と北だか、南だかを指さして、竹内さんは言っている。
 先で、メープル等「お土産」店を見つけると、後で買う事が出来るかどうか心配になり、皆で少し購入しておいたが、ここでした買い物が最後のカルガリィー空港で何とか数合わせするまで唯一のものだった。
 私が以前カナダに来た時泊まったホテル等を入って見たり、町の景色、雰囲気など、少し混雑として見えたが、これは以前はツアーで旅行者向けのルートしか歩かず、ましてや土地の人が乗る電車、船、レストラン等々行はしなかった。歩き疲れて入った港近くのレストランでは、一段脚の高い椅子に陣取り、海風を心地良く受けながら、ピザやポテト、サラダなどをシェアーして食べる雰囲気がすっかり出来上がっていた。
 バンクーバーで一番感動したのは、実は電車(地下鉄)の中での事である。カナダの若者は、ホームで電車を待っている高齢者を認めた時から、席を譲る覚悟をしている。老人(我々も、なのだが)が乗車すれば、サッと席を譲る若者が、一人いた、二人いたのではなく、いつもどこでも多勢いるのである。シルバーシートなど関係ない。見れば悲しいかな、立派に高齢者と分かる。それは、「おもてなし」を看板にした東京五輪も、足元にも及ばない心使い、私は、カナダの福祉の完成度を、この一点からも窺う知る事が出来たと思う。竹内さんは、電車に乗せて何を見て欲しかったのか、バンクーバーを車窓から眺め尽くして欲しかったのか、その辺は語らないので、それぞれの受けとめ方の中にその本意はあるのだろうが、私は、電車に乗ってカナダに着いた気がした。
 バンクーバーに2泊していよいよ、カムループス、ブラインド・ベイへ出発、借りたフォードが空港内の駐車場で、何の不具合からか、高々と警笛音を放ったのが、これからの五千キロの旅の始まりだった。
 カナダは世界第2位の広さを誇る資源大国であった事を、またしても肌を通して知る事となる。100キロがもうすぐだと思えるようになり、30キロは隣だと思うのにさして時間はかからなかったが、この5000キロの行程を、御歳米寿の竹内様が走り通されたのである。同行した、磯田さん、鈴木さんも80代となれば驚きの一言である。運転を申し出ても、にべもなく却下され、唯一私たちがお手伝いさせて頂けたのが、バックを確認する事のみだった。
バックモニターも付いた車ではあったが、そこはやはり使い慣れていない為、バックモニターを見る事をなさらない。長谷川さんの、恐る、恐る「ほぼ大丈夫です!平気だと思います!」のリードに「ほぼとか!思いますは!何や!」には、本当に笑えたが、「後ろ見てね」と竹内さんが振り向いて、ハンドルを操作すると、全員がモニターのある前を見て「オーライ、オーライ」と言ってた事も楽しかった思い出となった。何せ後ろを見たくても満載の荷物で何一つ確認できなかったのだから・・・。
 延々と走った。何もないようなまっ平な平原、のどかな牧草地、西部劇に出て来るような岩山、そこは、ファースト・ネーション「インディアンと言ってはいけないそうである」の居住地だったそうである。ここに追いやられた彼らの思い、本当に生きてゆく術を何ひとつ与えられていないような土地で、生き延び、今そこに石油が出たとならば、又土地を追われる、いろいろな事を感じながら着いた、ブラインド・ベイはすでにとっぷりと日も暮れていた。
バンクーバーからここに来るには、他に方法はなかったのかと思う程、大変なドライブとなった。後で聞けば、カムループスまで1時間で、国内便がバンクーバー、カルガリィーからも飛んでるそうだ。そこをあえてしなかった、竹内さんのその心は・・・・またしても、皆の心に残った物が答えではなかっただろうか。私には、ファースト・ネーションの岩山の居住地を、見るための長い長い道のりだった。
 「赤毛のアン」を読んだ事があるだろうか。たぶん大まかには、皆さん知っているはずだ。では、アンが懸賞小説の結果を聞きに、何度も駅から局まで手紙を取りに行ったのを憶えているだろうか。私は、そのシーンを、小説の中でも映画の中でも印象深く記憶している。一緒にハラハラし、一緒に落胆したものだ。
 今でも、竹内さんの住む、ブラインド・ベイ、おそらくカナダへの手紙「カナダへの手紙」と言う歌があったが、カナダへの手紙は局留めだ。自宅まで配達されない。局まで(自分の指定私書箱)自ら確認に行くのである。
 2593ブラインド・ベイ、そこが竹内さんの“友情の家“番地である。ゆるやかな坂道、緑豊かな木立の隋間からは、眼下に湖が広がる、庭には、小花を咲かせ、玄関へのアプローチは大きくカーブした石組みが導き、"友情の家“の扉は、私たちの到着をそんな侭で出迎えてくれた。
 大きく広いリビングには「友情の家」の額が掛り、暖炉があり、おおきな黒革張りのソファーがあり、テラスにはバーベキューセットが完備し、椅子、テーブルも置かれ、大型冷蔵庫、オール電化のレンジ、コーヒーメーカー等々、何もかも、高級別荘地さながらか、それ以上である。ベッドルームだけでも四つあり、地下(地形上、1階とも)にも又、広いリビングがある。竹内さんはきれい好きとの事であるが、どこもかしこも掃除がゆき届き、私は思わず我が家を反省したりした。
 皆が着くやいなや、典子さんという(Ms.Noriko KIrifordo)「後々大変お世話になる」方が訪ねて来られ、テキパキと物事を決めてくださり、ここで一気に私の明日の朝食からの不安は解消され、スムーズに“友情の家"の日常が動きだした。
 藤井さんの思わぬ特技、お皿をていねいに洗い棚に納める姿等、そうそう見られるものではない。スーさんの細かな気配り、磯田さんの外国仕込みのドレッシングなど、皆で力を合わせての"友情の家“朝食作りも楽しいものだった。
 "友情の家“のオープニングセレモニーの前に、竹内さんに連れられて、これも相当に遠かったが、鮭が赤くなり、川を上ぼる様子が運がよければ見れるかもしれないという、スコッチ・クリィークという所に行った。
 橋の上からもそれは確認できた。滑らないように川まで下り、逆上する鮭を初めて見た。身体をくねらせ、オス同士体をぶつけてメスを奪い合う。傷だらけになりながら、それこそ本当に命をかけて、種の存続に全力をかけ、そして死んでゆくのである。命とは、命が産む事なのだと、あたり前の事に気づかされる。そして命とはこんなにも美しく輝き、散り際の美を惜しみなく全うする、死ねる日まで、かく生き、かくありたいものである。

    紅は美しと ゆるぎなき鮭 のぼりけり  (くらら)

 下手な俳句もいくつか作ってみた。「くらら」は、我が家のブルドッグの名であり、私の俳号でもある。とはいっても若葉マークのホヤ、ホヤで、ベテランの方には一笑されそうだが、私のこの時の思いであるまで、メモとして書かせて頂いた。
 そこからスキー場まで走り、スーパーで買い物し、肉や野菜ワインやらデザートやら、典子さんご夫妻のご協力で買い込み、いよいよ“友情の家"のオープニングとバーベキューパーティーの始まりである。
この日のために、皆カナダに来たのだ。自と緊張もし、竹内さんが声を掛けてあったご近所の方々、お友達の到着を準備しながら待つことわずか、三三五五人が集まり、長谷川さんの司会で式は進行、藤井さんの国際大会のような拡張高いスピーチもあり、集まったカナダの方々へはっきりした形の“友情の家"のアピールは出来たのではないだろうか。竹内さんへの記念品も贈られ、銅版のプレートには今回の6人の名もあり、それぞれの胸の奥に深く刻まれたにちがいない。
 バーベキューがはじまると典子さんのご主人(カナダ人)が一手に焼き方をして下さり、おいしいお肉ととうもろこし、カナダ名産のキノコ等、典子さんお勧めのおいしい食事を堪能し、ワインに話の花が咲き、最後には、竹内さん、磯田さんのダンスがはじまり、典子さんの情熱的な踊りや、藤井さんも踊ってたな・・・・。私は典子さんのご主人に誘われ踊らしきものをやってみたが、日頃こういう機会がないためすっかり硬直してしまった。

  宵の月 胸の厚さと ダンスする   (くらら)

 この日の夜はなかなか終わらないのであった。
 次の朝、典子さんご夫妻のご尽力でボートを借り、5時間位湖で遊ぶという。昨夜の残り物をいろいろと持ち、ランチボックスは完成、ワインを持つのもぬかりはない。湖とはいえ、周囲の広さがから浜名湖までというのだから、もはや、川だか海だか見当はつかない。
 典子さんご夫妻の愛犬2匹も一緒に湖上のピクニックへと出発、途中エンジェルホールに寄ってくれたり、これまた湖の船着場まで相当の距離だったが、湖に出た時には、昨年世界大会で訪れたノルウェイのフィヨルドを思わず思い出していた。湖は穏やかで夏の終わりを惜しむ人の姿があり、あちこちのボートで家族連れやお友達が水着姿でくつろいでいた。
 湖畔は別荘地だとか、それぞれが船着き場を持ち、典子さんの友人も先月ここで談会を開き、その時自家用ボートが50~60隻集まったとか・・・、広いだけではないカナダ。ボートの中では、ほとんどのメンバーは連日のお疲れでこっくり、こっくりと船を漕いでいたなぁ・・・・。
 典子さんのご主人はお気に入りスポットで船を止め、湖に飛び込んでいった。愛犬二匹も迷惑そうに泳がされ、私と主人は仕事柄、2匹が風邪をひかなかったか、次の日まで気にかかった。
 夕食は、典子さんがソーメンと餃子を差し入れしてくれ、まだまだ大量に残った、バーベキューの肉等を処分するべく、竹内さんお冷蔵庫に余分な物を残さないように皆で段取りをした。明日からは、ロッキー山脈、バンフ国立公園への旅があり、竹内さんも共にこの"友情の家“を留守にするからである。
 寄せ書きに、6人は6人の感謝の気持ちを書き、あっという間の3日間を惜しみながら眠りについた。

  草の花 活けてゆかしき カナダ去ぬ   (くらら)

 ロッキーは私たちを待っていた。空はどこまでも澄み、川は透き通るようなその流れを右に左に展開していた。
白樺の葉は黄色に色づきはじめ、カナダの国道一号線沿いを一足早く秋へと変えていた。走っても、走ってもロッキーは見失う事がなく連なり、前に後ろに山裾の右に左にその岩肌を展開してゆく。
 針葉樹林もその緑を飽く事なく見せてくれる。その昔「富士山がいっぱいある」と思ったものだ。しかし富士山のやさしく裾へと流れる稜線を女性と見立てれば、ロッキーは、藤井さんが前の座席でポツリと「男前だね」と言ったとうり、男性的な量感が延々と続く。岩肌の壁まで隅無く見せてくれるロッキーを、竹内さんはそれこそ延々と走り、走り走り走り尽くして見せてくれた。
 月明かりの下、宿泊地近くのレイク・ルィーズの標識に3キロと見つけた時は思わず「あと3キロです」と悲鳴にも近い声を上げて安堵した。観光地なので詳細は省くが、これ又大変なスケールのドライブであり、朝、夕のレイク・ルィーズを見せたいという、竹内さんならではの視点である。
 何故なら朝と夕のいかに違うかを知っての事であり、その両方の素晴らしさを、日本からの友に見せたいという友情の証に他ならないからである。でも疲れた、疲れたけれどカナダを10回行った位堪能した。高級なレストランにも入ってしまい、たまにはこんな日があってもいいと、ワンプレートで済ませたり、目が食べたくて毎回失敗したデザートなど、思い出は数限りない。
 バンフでは、ロープウェィーに乗った。3000円位払った事を決して後悔させない。すごい景色だった。ロッキーを空から俯瞰する、まさに陣腐だが「絶景かな、絶景かな」であった。

  ロッキーの 一直線に 水澄あり   (くらら)

 バンフに2泊していよいよ最終地、カルガリィーへ向かう。帰国するための序奏に入ったと思っていたが、竹内さんはまだ舞台を用意してあった。
 カルガリィーには、ワイズメンの友人(元ワイズメン)フォークナーさんがその友人の通称、トシさんと待っていた。
私たちは、フォークナーさんのお宅で、ディナーをご馳走になる。奥様たちが素晴らしい接待で迎えて下さり、カナダ最後の夜は、またまた、竹内さんを通じての国際色豊かなディナーパーティーとなったのである。国が成熟している、人が成熟している、いつも外国に行くとそう思う。
 小さな日本に暮らし、自分という小さな家らの中だけで生活している自分、これでいいのかと思う。還暦もかなり前に過ぎた私でもこう思うのであるから、これからの若者が、若いというピンポイントでこの事に気づく事は、とても重要な事に思う。自分自身にとっても世界を相手にする経済にとっても、皆を幸福にする政治にとっても、地球環境にとっても、芸術にとっても。
 すなわち、何もかもにとっても、ツーリストでは全部を奪う事が出来ない何か、その何かは、何回も言うようだがその人の心の中に答えがある。“友情の家"とはその何かを育む手助けをするところではないだろうか。そうか竹内さんは友情を受け入れるとういう。いつもオープニングマインドあるスタンスにぶれはない。
 帰国後、竹内さんの手紙に、約5000キロ走った。 並大抵ではなかった。すごい旅だった。 だからこそ、友情も生まれ、思い出も強く残った。
 カリガリィーで別れの時、竹内さんとお別れのハグをした、88歳とは思えぬ力強いハグだった。

  星月夜 ハグのつよさを みやげとす   (くらら)

 12月には、典子さんご夫妻が日本に来る。その時、今回のメンバーは再開を約束した。竹内さんをはじめ、皆さんに会える日を心待ちしている。



”友情の家” House of Friendship 落成式

熱海YMCA,理事長竹内敏朗氏が、カナダ、BC州、シュースワップ湖畔、ブラインド・ベイに3年の年月をかけ、友情の家が完成いたしました。
PIP藤井寛敏ワイズ、熱海YMCA会員で、9月13日、現地で落成式を行ってきました。



竹内理事長がカナダで建設中の「友情の家」 Part 2


第28回 熱海YMCA英語スピーチコンテスト


日 時

2013年11月30日

会 場

熱海起雲閣


第40回 熱海YMCA総会


報告:大村 出席者:稲田、長谷川、後藤享、大村

 5月26日(日)13時より、熱海YMCAにおいて第40回の総会が開催されました。
熱海YMCAは、熱海ワイズメンズ・クラブ設立の10年後に立ち上げられた歴史があり、熱海ワイズメンズ・クラブが50周年を迎える本年は、熱海YMCAにとって40周年の節目でもあります。長年にわたり活動を続けてきた諸先輩方にとっては、「思いもひとしお」という感慨をお持ちの様子でした。
 総会は、例年通り、竹内理事長の議事進行により、つつがなく執り行われました。その中で、今回は理事の大幅な改選(就・退任)等も行われました。
 報告のため、以下に、承認された議事等(主要事項)を挙げます。なお、熱海YMCAの事業報告書は、別途、配布されます。

承認された事項
【第1部:総会】
  1. 2012年度の事業報告
  2. 2012年度の収支会計の報告
  3. 監査報告
    • ※沼津クラブ稲田ワイズが監査を担当しました。
  4. 2013年度の事業計画
  5. 2013年度の収支予算の承認
  6. 2013年度の理事・運営委員選出
    • ※理事の退任では、沼津クラブOBの八嶋さんはじめ4名の方々に、感謝状が贈呈されました。
    • ※新しい理事(沼津担当)として、沼津クラブの長谷川さんが選任されました。
    • 八嶋さんには、長年にわたり、沼津クラブ(YMCA沼津センター)を代表して、長谷川さんと共に、毎月の運営委員会に出席を続けていただきました。本当に、お疲れ様でした。

【第2部:卓話】
 恒例の、総会後の卓話では、稲田ワイズにより「企業の社会貢献」という標題のお話を披露していただきました。
 企業によるCSR活動の現状や、経済状況の変化が及ぼす影響などについて、分かりやすく実情が解説され、お話の後には参加者との間で質疑応答もあり、賑やかな卓話となりました。


竹内理事長がカナダで建設中の"友情の家"